長く暗い冬を越え、イギリスの春はイースターと共にやってきます。
今回はそんなイエス・キリストの復活を祝う晴れやかなイースターに欠かせない、イースターシムネルケーキをご紹介します。
シムネルケーキはドライフルーツや柑橘のピールなどがふんだんに使われたフルーツケーキで、ケーキの真ん中と一番上にマジパンを乗せ、さらに丸めた11個のマジパンボールを飾り付けるのが特徴です。
なぜこのボールが11個なのかというと、これは裏切り者のユダを除いた11人の忠実なイエス・キリストの弟子たちを表しています。
フルーツケーキとマジパンという意味ではイギリス流クリスマスケーキに近いものがありますが、贅沢でありながらクリスマスケーキよりも軽くいただけるお菓子です。
Mothering Sunday (マザリング・サンデー)
現代ではイースターにいただくことも増えたシムネルケーキですが、実はこのお菓子はもともとイギリスの”Mothering Sunday (マザリング・サンデー)”という日にちなんでいます。
マザリング・サンデーはレント(四旬節)の第4日曜日で、イースターの3週間前とされており、イースターは「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」として毎年日付が変わるため、マザリング・サンデーも同様に日付が変わり、今年(2022年)のマザリング・サンデーは3月27日です。
マザリング・サンデーって、母の日のこと?と思われるかもしれませんが、実はイギリスで母の日というイメージが付き始めたのは、長い歴史において最近のこと。
本来この「マザー」とは”mother church(マザー・チャーチ)”、つまり自分が洗礼を受けた教会、もしくは故郷の教会を指し、マザリング・サンデーとはそれぞれのマザー・チャーチを訪ねる日だったのです。
また、マザリング・サンデーは乳製品を使うことができない断食期間において、断食が一時的に緩和される日でもありました。
ちなみに、ニュースなどでパンケーキをひっくり返しながら走るイギリスのレースを見かけたことがあるかと思いますが、それは「パンケーキ・チューズデー」と言われる日にちなんだイベントで、マザリング・サンデーと違い、断食期間に入る前に乳製品を使い切る目的でパンケーキを作っていたというところからきています。
マザリング・サンデーは、17世紀には既に教会を訪れる習慣から実家の母親へプレゼントを持参するという風にアレンジされており、若い奉公人はこの日雇い主から休暇を許され、母親へ向けてシムネルケーキを焼いて持ち帰ったと言われています。
ただ実は、この頃のシムネルケーキは味も見た目も現代のものとは異なるものでした。
“シムネル”の歴史
元を正せば、「シムネル」という食べ物の歴史は中世に遡ります。
11世紀には既に記述があり、当時シムネルとは蜂蜜を用いた白いパンのことでした。
“simnel(シムネル)”という言葉の語源は古ラテン語の”simila”であり、上質な小麦粉という意味だったのです。
そんなパンがケーキと称されるようになり、1600年代後半にはスパイスの効いた大きなプラムケーキを指すようになっていくのですが、それはプディングのように布で縛って数時間茹で、さらに溶き卵を塗って焼くというものでした。
特にシュロップシャー・Shrewsbury(シュルズベリー)のシムネルケーキは、小麦粉と水とサフランで作った独特の黄色いペイストリー生地で包み、堅い皮となるまで焼くという過程が特徴的でした。
当時まだそれを見たことがなかった人々は、ケーキがまるで木のように堅いことに困惑し、ある紳士は茹でさせたり、ある婦人は足置きと勘違いした、なんて話もあります。
シムネルケーキの作り方や大きさは地域によって微妙に異なり、Buryはリッチなスコーンに近かったり、Devizesでは星形だったりしましたが、シムネルケーキとしてはShrewsburyのバージョンが最も広まり、現在知られる形の大元になったのではないかと考えられているようです。
そして安価な焼き型が大衆に流通した頃、現在のようなボイルしない方法へ変わっていき、20世紀に入るまでにはマジパンが加わったと言われています。
ちなみに、驚くべきは装飾のマジパンボール。なんとこれらが加わったのは1900年代も後半なのだとか。可愛らしい仕上げは後発のものだったのですね!
シムネルケーキの逸話
そんな歴史あるシムネルケーキには、イギリスらしいユーモラスな誕生伝説がいくつか存在します。
1つは、Simon(サイモン)とNelly(ネリー)の夫婦のストーリーです。
彼らはレントの断食が終わったばかりでしたが、その間時々パンに変えていた生地が残っていたため、これを使ってケーキを作ることにしました。
さらに食器棚にクリスマスプディングが残っていることを思い出し、生地の中にこれを入れることにしたのですが、問題はその後の製法について。
サイモンはケーキを茹でるべきだと主張し、ネリーは焼くべきだと強く主張しました。
二人の衝突は大喧嘩に発展し、なんとスツールやほうきを投げ合うまでに…。
結局、茹でてから焼こう、という妥協案に落ち着き、茹でたプディングには喧嘩で割れてしまった卵が塗られましたとさ。
このSimonとNellyの作ったケーキが、二人の名前がくっついて”Sim = Nell(シムネル)”となった、というお話です。
もう1つは、ヘンリー7世の時代に偽りの王位継承権を主張したランバート・シムネル(と言っても本人はまだ10歳で、これは司祭の計画だったのですが)が捕らえられ、父親がパン屋だったことから生涯王室のキッチンで勤めるよう言い渡され、40年間厨房で働く中でシムネルケーキを考案した、というお話。
実はこのお話は、ランバート・シムネルから約300年後に生まれた小説家のエリザベス・ギャスケルが、手紙で自身の幼少期を振り返り、マザリング・サンデーにシムネルケーキを食べたという思い出に触れて「これはどのようにして生まれたのかしら。ヘンリー7世の時代のランバート・シムネルは、確かパン屋の息子だったわね。」と書いたことにより広まったエピソードと考えられています。
先ほど歴史をお話しした通り、シムネルケーキはランバート・シムネルの時代より前から存在していたため、残念ながら現在は伝説的に取り扱われることが多いようです。
歴史家の中には、これらのエピソードはヴィクトリア朝時代に”tall tales(信じ難い話、ほら話)”が流行った関係で一気に作られた逸話である、なんて冷たい見解を持っている専門家も多いようですが、時には真実よりも楽しいエピソードを信じていたいところです。
Mothering Sundayを復活させた女性
これは日本の行事にも言えることですが、長い歴史の間に伝統が薄らいでいってしまうことは残念ながら起こり得ます。
1900年代に入る頃のイギリスでは、マザリング・サンデーの伝統は消えつつありました。
中には名前ごと記憶から消えたという地域もあったようです。
そんな時に立ち上がったのがコンスタンス・ペンスウィック・スミスという女性です。
彼女は本来後発であるはずのアメリカのマザーズ・デイ、つまり母の日に触発され、1900年代前半にマザリング・サンデーにまつわる2冊の本を出版し、「マザリング・サンデーを守る会」を設立。
彼女の努力はやがて実を結び、教会よりも母親の強調が濃いアメリカ式に近いながらも、再びイギリスにマザリング・サンデーの文化は戻ってきたのです。
21世紀のシムネルケーキ
最近のイギリスでは見かけることが減りつつあるシムネルケーキですが、季節が近付けば一部のお店で出会うことができます。
たとえばイギリス通にはお馴染みのBetty’s Tea Roomに赴けば、ショーウィンドウに飾られた、トラディショナルで可愛らしいアポストル(使徒)タイプや、可憐なお花が描かれた素敵なタイプ、貴重なBuryシムネルなど、様々なシムネルケーキに目を奪われることでしょう。
もちろん手作りもおすすめ。だって若者たちが母親に思いを寄せながらその手で焼いてきたケーキなのですから。
昨今はコロナ禍で、故郷の家族に会いづらい状況が続いていますが、やさしい気持ちになれるこのシムネルケーキを、春の訪れとともに大切な人へ贈ってみるのも良いかもしれませんね。
(写真・文 杉本悦子)