ヴィクトリア・サンドイッチとは、2枚のスポンジケーキの間にジャムやクリームを挟み、仕上げにお砂糖を振りかけたケーキです。
スポンジケーキと言っても、日本で知られている繊細でやわらかなスポンジではなく、イギリスのスポンジケーキというのは基本的にパウンドケーキに近い食べ応えのあるケーキのことを指しています。
19世紀に生まれたこのお菓子は、その名の通りヴィクトリア女王の名前を冠しており、「イングリッシュケーキの女王」「国民のアイデンティティの象徴」などと呼ばれ、シンプルながら現在もイギリスのティータイムに欠かせないケーキです。
お菓子の名前になってはいますが、ヴィクトリア女王が直接発明したわけではありません。
当時は女王の名を借りて新しい食べ物やレシピに名前を付けるということがよくあったのです。
たとえばウィンザー城の料理長を務めたチャールズ・フランカテッリのレシピ本によれば、「アイスド・プディング・ア・ラ・ヴィクトリア」とか、「ヴィクトリア・マカルーン」なんていうものもありました。
残念ながら現代にはヴィクトリア・サンドイッチとヴィクトリア・プラムくらいしか女王の名前が付いた食べ物は残っていないようですが、当時彼らがいかに大英帝国の母たる誇り高き君主に敬意や親しみを持っていたのかがよくわかります。
お菓子そのものの発祥としては、一説に、ヴィクトリア朝のケーキの主流がフルーツケーキやシードケーキだったことから、果物や種を喉に詰まらせる可能性がある子供のため、軽くて安全なケーキとして、ナーサリーでこのお菓子が生まれたと言われています。
さて、女王について語る上で欠かせないのが、女王の寝室女官で生涯の友人であったとされる第7代ベッドフォード公爵夫人アンナ・マリア・ラッセルが始めた、現在でも有名なイギリス文化のひとつ、アフタヌーンティーです。
女王はすぐにこの紅茶と軽食を楽しむアフタヌーンティーを気に入り、この時間に食べるヴィクトリア・サンドイッチの一切れを楽しみにしていたと言われています。
どの宮廷にいる時であろうとウィンザー城から一週間に四回、それも毎回大量のケーキを送らせていた女王は、ヴィクトリア・サンドイッチに関しては、ラズベリージャムを間に塗り、仕上げにカスターシュガーを振りかけたものがお好きだったそうです。
また1861年にアルバート公が亡くなった後、悲しみのあまりワイト島のオズボーン・ハウスで隠遁生活を送っていた女王の元にアルバート公の秘書であったチャールズ・グレイ将軍が訪れ、公の場へ姿を現すことや、友人や親戚、著名人などを招いたティーパーティーを開くことを勧め、女王の名を冠したヴィクトリア・サンドイッチはその大事なパーティーの際に振る舞われたと伝えられています。
長い歴史を経て、現代のヴィクトリア・サンドイッチには様々なバリエーションが生み出されています。
フィリングはストロベリージャムのこともあれば、レモンカードのこともありますし、クリームに生クリームを選ぶ人もいれば、バターアイシングクリームを選ぶ人もいます。
仕上げに振りかけるお砂糖も、今やカスターシュガーよりも粉砂糖が一般的です。
しかし、なんと歴史あるイギリス婦人会連盟(WIことNational Federation Women’s Institute)は、基本的なヴィクトリア・サンドイッチとは「フィリングはラズベリージャムだけでクリームはなし、仕上げのお砂糖はカスターシュガー」と主張しているのです。
現代のイギリス人にはこの見解を「頑なだ」と異を唱える人も多く、彼らが自分のお気に入りのヴィクトリア・サンドイッチスタイルについて「純正主義者は認めないかもしれないけれど」と注釈をつける時、それはWIのような、ヴィクトリア女王のスタイルこそが真のヴィクトリア・サンドイッチだと固く信じている人のことを暗に示しています。
(写真・文 杉本悦子)